夕張市の概要
JA夕張市のあらまし
JA夕張市の位置
本市は、北海道の中央部よりやや南西に位置し、地勢 は三方を夕張山系の峻峰に囲まれ、都市は市域の南方 に貫流する夕張川などの流域に蛇行して拓け、周囲は 国有林を始めとする森林地帯である。 交通は、国道274号線(札幌~帯広)、道々札幌~夕張 線、国道夕張~芦別線および道々夕張~岩見沢線を通 じて、道央および近隣市町村と結ばれているほか、昭和 56年秋、JR石勝線が開業し、また北海道横断自動車道 が平成11年開通するなど、本市は道央と道東を結ぶ重 要な拠点都市である。 |
JA夕張市の誕生
夕張市は明治21年、未開の山峡の地で夕張炭田が発 見されたことに始まり、以来、良質豊富な原料供給地と して石炭産業を中核とする、国内有数の石炭の街とし て発展してきたが、エネルギー変革により石炭から石 油に取って代わることとなり、平成3年までに24山全て の炭鉱が閉山した。 石炭なき後、観光の街として地域活性化を図る一方、北 海道の夏を代表する特産物であり、夕張と言えば「夕張 メロン」と言われるまでに成長した今日、夕張農業は市 の基幹産業として位置付けられている。 |
周辺見どころガイド
滝の上公園
国道274号線沿い。紅葉の名所として知られる公園で す。公園内では千鳥ヶ滝や竜仙峡のダイナミックな姿 や、大正14年の建設以来、現在も稼働している水力発 電所の建物を見ることができます。 住所 〒068-0756 夕張市滝ノ上5番地 |
石炭博物館
夕張市はかつて石炭によって栄え、11万人を超える人 口を抱える道内有数の都市として発展しました。石炭 博物館では、夕張を支えた石炭の歴史や当時の人々の 生活について、本物の坑道に入るなどの体験をしなが ら学ぶことができます。 住所 〒068-0401 夕張市高松7番地 |
農業のあらまし
農業の夜明け
夕張町年代録によれば、明治25年に「町内二於ケル農 業コノ年ヨリ始マル」とあり、明治23年夕張炭山開坑 地も貸下げを待たず入植していたと思われるが、明治 31年御料地の開放とともに入植者が増加した。 作付けは、豆の雑穀等の他、炭鉱向けのナス、キュウ リ、スイカなどが作付けされ、現在特産として育成中の 野菜も早くから栽培されていたので、産地のルーツは 古いといえる。 |
気候と風土
本市は、山間地にあるため地勢は高く(農業中心地、沼 ノ沢、標高175m)また、周囲を山岳に囲まれた環境か ら最低気温と最高気温差が著しい。 土性は、農地の大半が樽前系火山灰に覆われ、地力は 薄く、土地生産性は低い。 |
農業地域
本市の農業地域は、三方を山岳に囲まれた地勢的環境 から、農地は夕張川など中小河川の沿岸に帯状に拓 け、河川流域以外農耕敵地を求められない土地条件か ら、耕地規模は零細で農業条件は恵まれていない。 |
特産夕張メロンの誕生
夕張メロン栽培の起源は、大正12~13年頃までさかのぼることができ、昭和5年ごろには、数種の栽 培も試みましたが、十分な糖度が得られずに立ち消えとなり、当時の食糧事情から、次第に減少し戦 争の激化とともに消え去っていった。 当時の夕張農業は、雑穀・豆類・一般野菜中心の戦前同様の経営で農業所得も低く、農外収入によっ て生計を立てていた。こういった時代背景のもと自立安定を図ることが困難なことから、夕張市の狭 い地形では収益性の高い農作物を生産するしかなく、当然メロンの栽培が真剣に見直されることと なり、新しい品種の研究、育成が再開された。 昭和35年4月、17名の有志により夕張メロン組合が設立され、数々の試験栽培を繰り返し同年現在 のF1(一代雑種)夕張キングが作出された。こうして多年の願望である新品種が作出されたことによ り、夕張市のメロン栽培の方向付けがなされた。作付、栽培、撰果、出荷と一元的に生産組合を中心 に農協と一体となり、取り組んだ結果、昭和40年から50年ごろには北海道を代表する産地となっ た。 「夕張メロン」は昭和35年スタート当初から、一元出荷全量体制を確立し、品質の統一、安定化は他に 類を見ない産地作りとして高く評価され、名称も商標登録を受けたところである。一村一品運動の先 駆者として、5月のメロン初出荷には全国ニュースとして取り上げられ、今や全国ブランドとしての地位 を確立している。 |